見仏してくる。2013/09/09 16:57

 日曜は、芸大美術館で開催されている「国宝興福寺仏頭展」を鑑賞に上野へ。

 白鳳期の銅造仏頭と仏頭を守る形で配置されていた鎌倉期の十二神将(板彫と木造)で計25の国宝が展示された画期的なもの。
 そのほか、興福寺の宗派である法相宗(元祖はあの玄奘三蔵)に縁の文献、仏像、厨子など重要文化財・名品がずらり。

 仏頭は、山田寺から興福寺の僧兵が無理やり持ち出した仏像が、後に火災に遭って頭部のみになったものが、昭和初期に発見されたと解説あり。

 山田寺は蘇我石川麻呂の創建で、興福寺は藤原氏の寺。

 蘇我氏でありながら大化の改新で功のあった石川麻呂が、藤原氏に追い詰められた権力抗争の証跡なのだろうか?などと思いながら、端正な仏顔をみる。


 だが、圧倒的なのは、やはり十二神将。


 特に木像は、迫力に充ちたまさに国宝にふさわしい木像群(新薬師寺のものも素晴らしいが)。

 美術館のライティングが素晴らしく、陰影が強調されて、像のリアリティがぐっと迫ってくる。見せ方も素晴らしい。

 やはりこういう迫力があるのは鎌倉期の仏像だ。
 興福寺は平重衡に焼かれた後に復興するが、絶対このような焼き討ちなどから仏を守らなければならないという決意を感じさせるという解説があった。

 平安遷都後に衰退しかけていた奈良仏教が、東国の武家政権の庇護を受けて、西国への睨みを利かせることの意味あいを含めて、こうした勇壮な文化作品が作られたのだろうか?
 
 神将は十二の方角を守っているとされ、方角に対応するそれぞれ干支の動物が頭部に載っているのが、意外に可愛らしかった。

 また、板彫りの十二神将もたった厚さ一寸の檜板に浮き彫りで作られたものだが、すごい技量で立体感溢れるもので、これまた感嘆。

 入館料1500円はちっとも高くない、展示の工夫を含め、素晴らしかった。

<本・映画等の覚え>
・「風立ちぬ」スタジオジブリ(劇場)
・酒見賢一著「後宮小説」
・新保裕一著「デパートへ行こう!」
・竹内正浩著「地図と楽しむ東京歴史散歩・地形篇」
・里見清一著「衆愚の病理」


甲斐駒企画は台風で繰延べ。2013/09/16 21:24

 敬老の日の3連休は、白山に一緒に行ったT氏と甲斐駒ケ岳へ行く予定だったが、全国に大雨を降らせた台風18号の接近もあって、金曜昼には来週に順延を決定。

 土曜はまずまずの天気だったが、日曜、月曜と関東圏も大雨が降り、無理して行っていれば、北沢峠で孤立も十分考えられた悪天候。

 金曜のうちに、DVDでも借りておけば良かったのだが、これはというソフトが目に付かず、結局CDを2組(つじあやのさんといきものがかり)を借りて聴くのみ。

 細君の録り溜めていた韓流ドラマや熱戦の女子カーリング代表決定戦、サッカーなどを観て過ごす(そのほか次男の自転車の不具合点検とか)。

 先週は、親しい人から、なんとも水くさい衝撃の報告(?!)やら、なんやら色々あって、疲れていたので、天気が良くなくて、却って良かったかもしれない(休むことも大切)。

 台風一過の後は、鮮やかな夕焼け。こういう感じで明日以降過ごせたらいいなぁ。

台風一過後の夕焼け


12年ぶりの甲斐駒ケ岳も快晴。2013/09/23 18:08

 この3連休は、予定通り12年ぶりの甲斐駒ケ岳幕営山行。

 好天で眺望にも恵まれ、とても印象深い山行となった。

六方石の鞍部から見る甲斐駒ケ岳

 ただ、人気の山の宿命とはいえ、思慮不足の登山客の安全に配慮したため、デジカメが破損してしまい、後味が悪いものになってしまった。

 というのは、頂上直下の急斜面の狭いトラバース道の途中で、年配の登山者が登っている我々を待っていたが、谷側の岩の出っ張りに立っていた。
 危ないから降りてくるか、山側に避けてくれと声を掛けたのだが、大丈夫だからといって動かない。

 すれ違う時に案の定、ザックが接触しそうになったので、避けようとして軽く山側の岩に接触
 運悪くズボンの右後ろポケットに入れていたカメラのレンズにヒットしてしまった。そのときはピチッと感じたのでヤバイと思ったが、後で見るとフロントレンズカバーが、くもの巣になっていた(大損害だ・・)。

 トラバース道でのすれ違いは、ザックの幅も計算に入れないと、人を信じていたらいつか山で死んじゃうよ。本人は知らないと思うけど、ザックが当たってバランスを崩して落ちたら、仏様。カメラを犠牲に命を助けたと思うしかない。

 とにかくかなりの人が山に入っていたので、岩場では大渋滞。マナーや技量もさまざままな登山者がいたことは間違いない。

 すれ違ってザックをぶつけても何も言わない人(あぶない!)、
 岩場に数珠繋がりで登っていく人(石とかと人が落っこちてきたらどうする・・)、
 急斜面でストックを畳まずに取り付く人(引っかかって却って危険・・)、
 丸木橋に数珠繋ぎで乗っかってくる人(折れちゃう・・)、
 団体(バス?)に遅れまいと稜線で走る人(すれ違い時は減速してよ・・)、
 いろいろ気になったけど仕方ない。

 自分と他者の安全優先の配慮が一番大事だと思う。
 
 登り優先とゴミを捨てないだけがマナーじゃないと思うが、如何だろうか(自己防衛しかないのかなぁ)。
 しかし、年々下りのタイムが掛かるようになってきた。

 やはり甲斐駒は体力的に厳しかった(T氏に迷惑も掛けた)。


 以下は記録。
<土曜日>
 9:21 甲府駅
10:00 山梨交通バスで広河原へ(路線バス型のバスにぎゅうぎゅう詰の奴隷船状態)
12:30 広河原→北沢峠行マイクロバスで北沢峠へ(これまた奴隷船)
14:00 北沢長衛小屋テントサイトでテント設営完了。
    テン場はテントでギッシリ。漸く設営場所を確保。次の便で入山していたら、テントを張る場所が
    無かった。
15:00 小屋で生ビール(なんとエビス)。
16:00~17:30 夕食 ①帆立&きのこバターのホイル蒸し、②ツナときのことクリームシチュー(野菜
    マカロニ入り)、③アサリのガーリックオイル漬け(缶詰)、どれもかなり美味に仕上がる。
    ただ、定着幕営企画と思って食材を持ち込み過ぎ、食べ切れそうも無かったので、大量に食材
    が余る(反省点)。
~20:00 就寝。それまでT氏が前日に美味しい水で割って整えた宮崎焼酎をコッフェルで燗付けで
    ちびちび頂く(旨い)。

テン場から夕日に映える摩利支天

<日曜日>
2:40 寒さで目覚める。十七夜の月が明るく、外はヘッドランプが要らないくらいに明るい。
    オリオン座の中を流れ星が1つ通過(相当明るいものだったはず)。
3:30 朝食準備開始。時間短縮のためカップ麺(T氏は塩味、自分は味噌味<札幌一番>)
4:40 撤収終了、北沢峠に残置装備をデポ。仙水峠経由でアタック開始。
6:50 仙水峠着 
    駒津峰までの急登に取り付く。空気が澄んでいて展望が素晴らしい。巨大な摩利支天が目の前。

北岳南アルプス方面の展望

8:25 駒津峰(2,752m)に到着。一旦、六方石の鞍部まで岩場を降りて上り返す。
   登山客で渋滞が起きていたので、落石のリスクを避け、直登コースは取らず、巻き道を選択。
   その間、デジカメのレンズカバー(透明ガラス)破損。
10:20 駒ケ岳山頂着。
    少し水蒸気が上がってきて、展望の鮮明さが落ちるも鳳凰三山、富士山、アサヨ峰、北岳、間ノ岳、
    塩見岳、荒川岳方面、仙丈岳、中央アルプス、御岳、乗鞍、穂高、槍、鹿島槍、蓼科山、八ヶ岳、
    鋸岳等々と360度名だたる山が勢ぞろい。
    早めの昼食、行動食+バターロール(魚肉ソーセージ、胡瓜、チーズ、ミニマヨをサンド)
11:00 下山開始。往路と同じ巻き道を下る(花崗岩が風化した真っ白い道)。摩利支天には寄らず。
12:15 駒津峰着。
    またしても下りは脚が痛くなって、コースタイムを大きく上回る。
14:45 北沢峠登山口着。両足裏にマメが出来たこともあって計画比かなりの遅れ。
    ただし、バスには余裕の到着。デポした荷物を回収して、リパック。
15:20 広河原ビジターセンター着。
    16:15発の甲府行きバスに間に合う時間に着くが、定員オーバーで乗車できず(あと2人)。
17:40 甲府行バス。またしても山梨交通の都合で寿司詰め奴隷船で詰め込まれるが、順番が早かった
    ので、多少好位置を確保(この奴隷船状態は何とかしてほしい)。
19:30 甲府着。帰りの特急指定席を確保して、駅ビルで旭川青葉ラーメン(塩味が沁みる)。
20:02 甲府発かいじ124号。車内でプレミアム・モルツ。帰投は9時半過ぎ。

<月曜日>
 ・テント・ザックの汚れ落とし・天日干し
 ・コッフェル等の洗浄・乾燥