人は論理よりも感情で動く。2017/03/23 22:23

 どんなに不衛生でもこれまで食中毒を起こしていないという飲食店には、信頼をおくけど、新装開店の店でシックハウス症候群の原因物質が少しでも検出されたら、信用しない。

 国民国家を超えた人道主義が大切だと言いながら、難民の流入は嫌だという。取材や支援に行った活動家には、自己責任だという。テロに負けるべきではないと言いながら、人質解放の為に身代金を払う。

 政治家は様々な人の陳情を聴き、必要な政策を判断し、事務方に指示するものではないのか。必要に応じて立法を行うが、陳情を聞き入れて、何かすると、「口利き」だと言って皆批難する(のが正義と思っている)。

 レント・シーキングとセットの口利きと自己利益誘導、利権確保が目的の行政制御は、許されないが、自己を利する目的でない口利きは、不利益を被っている人たちに光を当てる仕事で民主主義の機能の一つではないのか。
 法律の執行者である役所だけでは、なかなかこういったことはできない。


 3/18の民進党の会合に慶応大の井手英策教授が出席し、自説を述べた。
 アカデミズムの住人が特定政党(特に野党)の会合に出るのは、学者の常識からすれば、異例にして、危険な行動だが、彼をここまで熱くする危機感を皆は共有するべきではないか。

 対立軸のない状況では、野党が政権党に勝ち目がないのは当然。

 その見地で、自己責任で大多数の人間が敗者になる社会より、全員が幸福になれる社会を志向するオルタナティブを対応軸として立てるべきとの井手教授の主張は、傾聴に値すると思う。

 選挙に勝つのだけを目的に候補者調整するのではなく、論理と感情の両方で変えていかねば、皆ノスタルジーに振り回されて人口減少下、イノベーションとかできれば、いやみんなが我慢して努力すれば、素晴らしい成長ができると信じ込まされてしまう。 
 左派だ、右派だとかでお互いいがみ合う前に、すでに少数の上と大多数の下に不可逆的に分断されていることを実感しないと・・・。

 ここが一番感情的になるべきところかも。

【最近の読書の覚え】
・森本あんり著「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」
 反知性主義という用語の定義が特殊で、難解だったが、米国の土着のキリスト教とプラグマティズムの結びつき、歴史の浅さが、米国独特の反権威、反知性というべき思想の底流にあるという森本氏の卓見。トランプ大統領の言動もそれがダメージにならない訳もなんとなくわかってくる。
 

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